今回は日本のパデルの中でも早い段階に日本にパデルをしに訪れたエドアルドのパデルストーリーをインタビューしました。
エドアルド ラデベーゼ (Eduardo Ladevez)
青い目をした優しい眼差しのアルゼンチン出身、スペインでパデルコーチとして働いていたエドア ルドは今、スウェーデンの首都、ストックホルムのパデルクラブ *LEDAPにいる。今、日本でパ デルをしている皆さんの中にもコロナが始まる2019年以前に彼と日本のパデルコートで出会っ ている方もいるだろう。
そう、彼はパデルが今よりまだあまり知られていない頃の日本でパデルを教えに3回ほど、日本 へ訪れたことがあるのだ。まさにパデル宣教師かのように。
エドアルドのパデルとの出会い
テニスコーチの父のもとに生まれたエドアルドは物心つく前から父の元でテニスのトレーニング をしていたが12歳の時、彼は友達の紹介で80年台当時アルゼンチンで 流行り始めた新しいスポーツ『パデルテニス』を経験した。
当時12歳の彼はこのパデルとの出会いが後の彼の人生をパデルで世界へ羽ばたかせるとは想 像もしていたかっただろう。だから人生は面白い。
初めてパデルを経験したエドアルドだが、流行り始めた新スポーツを経験したというくらいの気持ちで、その後、 特にパデルはせず、テニスを愛する父親の元でテニストレーニングの日々が続いた。
その後大学に進学した18歳のエドアルドは、時々パデルの大会に出るようになり、そこで好成績を 納めることが多くなった。と同時にパデルの持つ社交的な環境の魅力に惹かれていった。そしていつからかテニスより パデルをトレーニングする時間が多くなり、本格的にパデルライフへと移行していった。
テニス好きの父親はエドアルドがパデルに移行することに当初あまり積極的ではなかったが、 段々と心を許してきたという。ちなみに今、彼もパデルは時々するらしい。
そこからスペインへ移住する30歳まで、エドアルドはパデルのトレーナ兼フィシシカルトレー ナーとしてアルゼンチでキャリアを積んだ。
80年台にアルゼンチンでパデルが流行り、90年台に入り、スペインでも流行り始めるとエドア ルド(当時30歳)はスペイン、マドリッドへ移住し、そこから彼のスペインでのパデルコーチと してのキャリアが始まった。
その後、彼はスペインでたくさんのパデル選手たちをトレーニングし、当時世界で一番大きいイ ンドアコート(SUNSET PADEL AREA Madrid)でヘッドコーチとして働いた事はかけがえもな く、素晴らしい経験になったと当時を懐かしく振り返りながら話してれた。ただ残念な事に、働いていたSUNSET PADEL AREAは2019年から始まったCOVID・パンデミンの追い風を受け、 閉館。
スペインのコロナ、ロックダウン中の悲惨な様子は多くのメディアで目にした私たちに日本人にも 記憶に残る。スペイン・マドリッドに住んでいたエドアルドは食料を買いに行く以外は外出禁止だった ロックダウン中にパデルもトレーニングも思うように出来ない状況に悶々としていた。
当時、スウェーデンのパデルはコロナ禍でもイベント等は自粛されたり一定の規制はあったも のの、パデルはできる状態であり、パデルコート建設がスウェーデン国内で次々に進んで いった。コロナで在宅勤務になった沢山の会社員たちがコロナ禍での適度な運動のためにも パデルをし始め、スウェーデンでは皮肉にもコロナ禍にパデル人口が増える一方だった。
そこでエドアルドは、自らスウェーデンのパデルクラブに連絡を取り、 2020年の秋からスウェーデンのストックホルムのパデルクラブでスペイン人トレーナーとして 働く事になった。スウェーデンのパデルブームに伴い、スペインからのコーチの需要とエドアルドの希 望が一致したのだった。
Quick facts
- アルゼンチン出身
- スペインではマドリッドにあったSUNSET PADEL AREA Madridを務める
- 2020年ー2023年8月までスウェーデンでパデルコーチとして働く
- 現在はバリ島のJungle Padel でコーチとして働く
- 日本の食べ物はラーメン
- 甘いデザート好き
スウェーデンでの生活
スウェーデンに来てもうすぐ3年になるエドアルドは「スウェーデンはとても綺麗で素敵な国だ けど、長い冬と雪は、南国育ちの僕には大変だけどね。』と南米の暖かい瞳で笑った。
「スウェーデンでは気候を除いては、パデルコーチとしてスウェーデンで働く事をとても楽しんで いる。パデルをトレーニングする学生や、世界レベルでも質の高いパデルクラブの環境で働けて、 とても光栄だと思う」とやや真剣な表情にコントラスがかかった。
今のヨーロッパでのパデルブームついて
80年代のパデルブームを自国アルゼンチンで経験したエドアルドに今、このヨーロッパでのパデ ルブームはどのように目に映るののか。
「このブームは私がかつて経験した40年前のアルゼンチンでのパデルブームと同じだよ。 パデルは本当に楽しくて、パデルを通して世界中の人たちと友達になれる。パデルをしている人 や、パデルの仕事をしてる人たちにとっても、こうしてパデルで世界が繋がる事は本当に素敵な事 だと思う。」とパデルの魅力について情熱的に語ってくれた。
全くその通りだ。筆者の私自身もパデルを初めてから、数え切れないほどの沢山の人と出会い、 想像もしていなかった繋がりが色々な国に出来た。日本にも本格的にパデルブームが来る日が本当に待ち遠しい。
このパデルブームは私がかつて経験した40年前のアルゼンチンでのパデルブームと同じみたいだよ。 パデルは本当に楽しくて、パデルを通して世界中の人たちと友達になれる。
エドアドルは負けた時どうなる?
終始穏やかな笑顔で楽しそうに自身のパデルストーリーを話してくれるエドアルドはゲームに負けた時の心境を聞いた。『僕はテニス、ハンドボール、サッカーと色々なスポーツを小さい時からしてきたから、もちろ ん、競争心はとても強くて勝つのが好きだ。ワールドパデルツアーの選手たちとゲームする機会の 時には、尋常じゃないほど、本当に勝ちたいという執念を持って試合をする。コートの中では僕 はただ勝ちたい、でも負けた時もコートの外に出れば、忘れて、次に歩く。』と彼の天性的明るさ が伺えた。
日本でのパデルの思い出
エドアルドは日本に2017ー2019年の間に3年連続で訪問している。 最初の2年は個人で企画したパデルクリニックを開催しに日本へ。2019年の3度目は自身の 契約スポンサー、BABOLATと同行でパデルを愛するものなら多くの人が知っているだろうあの ユアン レブロン(Juan Lebron)と共に来日し、イベントを開いた。
「日本では東京、千葉、大阪、奈良へ行った。日本のパデルクラブで出会った日本人のみんなが 本当にパデルを学びたくて熱心だったのが嬉しかった。」とインタビューの間、エドアルドは日 本で楽しかったパデルの時間を終始笑顔で語ってくれた。そして日本人パデルプレイヤーのパデル への意欲を肌で感じたという。
日本に来た外国人が日本をこんなにポジティブに思ってくれる事は本当に嬉しい限りだ。 日本ではパデルを通してたくさんの人と出会い、パデルコートの中でも、そして外でもとても楽し い時間を日本人パデルプレーヤー達と一緒に過ごして沢山の思い出を作ったエドアルド。
「当時の日本のパデルのレベルと今を比べると彼らは確実にレベルアップしている。そして何より 日本の人たちはとても心優しい素敵な人たちで最高な時間だったよ」と、また日本を褒めてくれた。彼がこんなにも日本で良い思い出が残っているのはきっとエドアルド自身が素敵な心を持ってい るからこそなのだろう。全ては鏡の法則。
“日本のパデルは確実にレベルアップしている。
日本でのカルチャーショックは?
日本を訪れた外国人に聞く定番の質問だが、やっぱり興味のある質問をしてみた。
「東京に行った時、巨大な人の波が皆同じ方向に歩いていたり、レストランの外で一列に並んで いる人たちを見てびっくりした」と楽しそうに答えてくれた。ありきたりな質問だが、私たちに とって常日頃見慣れている日本の風景だが、海外から来た人たちにどんな日本が印象に残るのかに興味を持つのはきっと私だけではないはずだ。
次回、日本に来たら何をしたい?
「僕はその時に自分がしたいことをするよ。沢山の人とパデルをして、パデルコートで全力を尽く し、その後は日本の街を探検して美味しいものをたくさん食べたい。甘いものも沢山ね。」と甘 党のエドアルドは楽しそうに答えた。ちなみに日本の食べ物で大好きなのはラーメンだと いう。次、エドアルドが来日した際は是非、美味しいラーメン屋と美味しいデザートのあるカ フェへ彼を連れていったあげたい。
「とにかく僕のレッスンを楽しんでもらって、パデルのあとはみんなで楽しみたい。」とエドアル ドはパデル本来の社交的楽しさを常に忘れない。
ここ数年で確実にレベルアップした日本のパデルをエドアルドが目にする瞬間が楽しみだ。
これからコーチとしてどこで活躍する?
こんなにも日本のパデルと交流があるエドアドルが日本に住んでパデルを教える日が来ることも近 いのでは?もちろんその可能性も大いにあると嬉しい返答としてくれた。
「僕はずっとアジアでパデルを教えたいとも思っていた。僕がスウェーデンでパデルを教え終えて からまた次の場所を考えるよ。」と、ゆったりと笑いながら答えるエドアルドがパデル宣教師の ように思えた。エドアルドが今後、どの国に拠点を置いてパデルをトレーニングしにいくかに好ご 期待!
エドアルドの日本語は?
「僕は日本語は全然出来ません。今、スウェーデンにいるからスウェーデン語のアプリで勉強し てるけれども、難しい。だから日本語はきっともっと難しいかな。この歳で新しい言葉を勉強す るのは難しいよ」とはにかみ笑いを見せた。 言語の壁だけが日本滞在でもちょっと不便だったという。
パデルのレッスン中も、通訳が必要な時がほとんどだった。その中で、日本パデル協会会長の中塚 浩二氏がスペイン語が話せた事がとても嬉しかったという。海外で現地の言葉が分からない時 に、通訳が出来る人と出会うあの安堵感は、海外在住の私にもよく分かる。
当時は今に比べてパデル人口が少なかった日本だが、パデル人口増加に伴い、スペイン語を学習 したいというパデル選手も沢山いる今は、次にエドアルドが日本を訪れる時には、以前よりもた くさんの日本人と、パデルクラブでスペイン語で会話を楽しめるに違いない。
そしてエドアルドは最初に日本に来た際に、現地コーディネートを手伝ってくれたMIKIさん (KITAGAWA MIKI) に改めて感謝したい。とMIKIさんへの感謝の気持ちを話してくれた。
最後に、エドアルドコーチから日本でパデルをする皆さんへ一言
「これからもこの素晴らしいスポーツを楽しんで、パデルを通して築く社交的な毎日を楽しんでく ださい」と日本のパデル界にエールを送ってくれた。
今、スウェーデンも緑輝く最高のシーズンがやってきた。長い冬を終え、やっとスウェーデンでも 太陽の下でアウトドアコートでパデルを楽しめる季節になった。きっと今日もエドアルドはス ウェーデンのこのベストシーズンでパデルコーチングに精を出しているだろう。
忙しいパデルトレーニングの合間のインタビュー、ありがとうございました。 次は日本のパデルコートでお会いできる日を楽しみにしています。
MEMO
この機会にぜひ、皆さんもエルアルドのインスタグラも要チェック。エルアルドのインスタグラム紹介記事。