1992年11月25日生まれ 。神奈川県出身。 慶応義塾大学卒業。25歳で「パデル」を始め、日本代 表としてパデル世界大会2回出場(2018…
三砂 春奈 (MISAGO HARUNA)
ワーキングホリデーを使い、2022年9月からスペインに移住。現在スペインのバレンシアに拠点 を持つ日本人パデル選手、三砂春奈選手、30歳。
パデルにハマり、本場のパデルを学びたいと決意し、熟慮断行、スペインへやってきたという。スペインでパデルをしているイメージとは逆に、色白で透き通るような女性らしい春奈選手(以下、 春奈と略称)との対面は同じ女性としても、興味深く、話を聞かせていただきました。というわけで、今回は日本でOLとして働いていた彼女の自分自身の情熱に正直に答えたパワフルな生き方をお伺 いします。
パデルとの出会い
最初に始めたのは6年前くらいの2017年。日本ではまだ初期のパデル時代。春奈は以前からのテ ニス仲間に誘われて所沢にあるパデルコートで初めてパデルを体験したという。
慶應大学のサークルで学生時代、テニスをしていた彼女とって、パデルはテニスと似ている動きも あるため、入りやすかったという。且つ、テニスよりもシンプルで、ラリーが続きやすく、初日 からとても楽しく感じたのを覚えているという。
しかし最初にパデルをしてから半年くらいは、今のようにはハマっていなかった。その理由は楽し いとは思ったが、2017年にはまだ日本にあるコート数が今よりも更に限られていて、パデルをラ イフスタイルに取り入れるまで時間、交通の不便が大きかったという。今となっては日本全体で のコート数42コートまでになったが(2023年4月現在)、コート数を増やすことは今後も 尚、最大の日本パデル界の目標となっている。
当時関東に3施設(東京・所沢・川口)にあったが、神奈川在住の春奈にとって仕事帰りや土日 に赴くには『ちょっとパデルの練習してくる』というほど気軽なルティーンではなかった。というわけで、楽しかったが、土日に時々のレジャーとして程度だった。
いつからはまった?
パデルを気楽にできるルティーンでは無かった当初だが、2017年にミックス(男女ペア)の 大会に出て、見事準優勝を獲得し、試合に出て結果を出すという達成感を感じた時、パデルを もっとしたいという気持ちを強くさせたという春奈。
そして準優勝の商品として獲得してラケットを手にし、パデル魂に火がついたのだとと和らかい笑 顔を浮かべて付け加えるように話してくれた。ちなみにそのときペアを組んだのは今回マドリッドで、私が別途インタビューさせていただい た、日下部俊吾選手とのこと。 二人は同じ大学に通っていたテニスサークルが一緒の一つ下の後輩でなんと10年来の友だとい う。友情、大学時代のサークルの思い出、そして社会人になってからもこうして同じスポーツで喜 びを分かち合える仲間がいることは何よりの人生の財産であろう。
Quick facts
- 1992年11月25日生まれ
- 神奈川県出身
- 慶應大学卒業
- パデル日本代表として世界大会2回出場
- 2022年9月から一年間、スペインでパデルのトレーニング。(現在帰国)
パデルをしたときの自分の環境
いつの時も人生はタイミングが大事である。運命だと思ってもタイミングが合わなければそれま でになることもある。春奈がパデルに惹かれて、今マドリッドでトレーニングをしている事もきっ と全てはタイミングよく出会うべくして出会ったのだろう。
パデルに出会った時の彼女の環境は、社会人2年目で仕事に忙しく、テニスをする機会が減り、 特別夢中になっていることがなかったという。だからこそ、パデルにはまっていたのだろうと春奈 は振り返る。
日本にいた時のパデルライフ
日本でパデルを本格的にハマり始めてからは日中はOLの仕事で夕方6時まで働き、その後、片道1 時間かけてパデルコートへ向かい2時間ほど練習後帰宅。土日も片道1−2時間かけてパデルコー トまで向かい、2−3時間練習したり試合でパデルに丸一日費やしていたという。
パデルコート使用料は、平均一人、一回約2500円くらい(2−3時間使用、使用時間帯にもよ る)プラス交通費で結構な負担にもなる。しかし大好きなパデルのために春奈は友達との遊びや ゴルフなど他のレジャーの時間、費用は節約することにしていた。
海外遠征の時は自分の有給を使いスケジュールを組んだという春奈。OLをしながらアスリートと して生活するには人知れず、気配りと入念なスケジュールプランが必要だということが春奈の話か ら伺えた。
会社の多くの同僚や上司は春菜のアスリート、パデル選手としての活躍を名誉な事だと応援してく れた。ただ、遠征中は業務に穴を開けてしまうのはどうしても避けられず、上司や同僚に迷惑をか けてしまう。だからこそ、春奈は働いている時はしっかり働いて極力迷惑かからないように全力 で仕事した。
パデルをしていなかったら絶対に出会わなかったであろう人達と出会う事が出来たのが人生の 中で一番の変化。
パデルで変わったこと。
OL春奈の生活スタイルをこんなにも変化させたパデル。パデルを始めたからこその変化について 聞いてみた。
『パデルをしていなかったら絶対に出会わなかったであろう人達と出会う事が出来たのが人生の 中で一番の変化。国内外でアスリートをサポートしてくれる企業の方達や、海外にいるアスリート 同士で繋がったり、パデルに関係なく、スペインに住む日本人など、パデルをしていなかったら出 会わなかった人たちがたくさんいる。パデルを初めてから多くの人から日々刺激をもらってい る。パデルに関わる場所でも、他の場所でも、いろいろな生き方があるのだなと考えるきっかけ できた。』とパデルが春奈の人生に新しい扉を開かせたようだ。
パデル選手になってご家族や友人の反応は?
友人からは日本代表として、世界大会に出たりするようになり、一目置いた眼差しをもらう事も 多くなったが、自分としてはただ好きなことをているだけなので、これといったスペシャルな気持 ちはあまりないと春奈はいう。
家族の反応に関しては、賞賛されるより、まだ心配される事の方が大きいという。2018年の 最初の世界大会でパラグアイへ行く時や、カタールへ行く時には現地での安全な生活を家族はた だ心配していたという。筆者の私も3人の娘達がスポーツの遠征に行く事もあるので、親御さん のその気持ちは心からよく分かる。
“一度決めたら、それを成し遂げなければならない
という状態に自分自身を持っていく”
スペインに移住されるまでの道のり
日本でOLをしながらパデルを本格的にするようになった春奈の更なるパデルへの情熱は増してい く。
2018年の世界大会でパラグアイ後、海外のパデル選手達と出会い、とにかく自分も海外でパデ ルをしてみたいという当初は漠然ではあったが、揺るぎない目標を志た。パデルの本場であるス ペインでもっとパデルを学びたい。まさに思い立ってはいざ行動だ。性格上、一度決めると、それを成し遂げなければならないという状態に自分自身を持っていくの が得意だという春奈。スペインに行くと決めたら何がなんでもスペインに行くと誓い、そのため に仕事も調整、スペイン語も勉強し始めた。
当時、スペイン語はHola(こんにちは),Grasias(ありがとう), Aqua(水)くらいしか知らなかっ たが、やると決めた春奈はまず独学で図書館へ行き、スペイン語を学びはじめた。ただ、独学だと習得した語彙をアウトプットする機会が少なかったり独学では限界があると感じ た彼女は今から約1年前にオンラインでのスペイン語レッスンも始めた。本場のスペイン語を聞 けたりするので語学オンラインスクールの長所を大いに実感しているという。レッスンはスペイン 滞在の今も継続中のようだ。
さて、春奈のスペイン行きの気持ちは日々大きくなるのとは裏腹に、実現するまでにはかなり時 間がかかったという。長期で行くとなればもちろん、仕事も費用も大きな課題になる。
理想の状態としては会社員として仕事を続けたまま、スペインでパデルのトレーニングを実現出来 る事だったので、その形が可能な会社を探した。そしてベンチャー寄りの今の会社(バリュエンス ジャパン株式会社)と出会い、自分で提案し色々な可能性を与えてくれる今の会社とのご縁をいた だいたと春菜は社会人らしい律儀な言葉で会社への恩恵を語った。
会社には面接の時からスペイン希望の話は伝えていたが、半年くらいして業務が慣れてきた段階で 上司に相談。会社側は春奈の熱いパデルへの思いを受け止め、無事承諾を経て、春奈のスペイン 生活が決まった。まさに、人生を切り開くは行動のみありき。
スペインでの生活
さて念願のスペインでのパデルトレーニング生活が2022年の9月から始まったが春奈。 平日は朝8時から夕方4時までみっちりフルタイムで自宅で仕事し、夕方5時からパデルのレッスン だいう。
平日毎日90分、コーチとパデルトレーニングの後、週2回、パデルの後、コーチ付きでフィジカ ルトレーングに励む。来てすぐはマドリッドに拠点を置いたが、縁あって、今はバレンシアのアカデミーに移動。Bellmontopadelacademyのベルモントコーチのもとでトレーニングを受けている。
意識してトレーニングしていること。
今、パデルの国スペインでトレーニングを積んでいる春奈は打ち方のフォームを根本的に改革して いるという。パデルを初めて6年になるが、日本にいる最初の4・5年は指導者が居なかったので、皆、独学 で切磋琢磨に練習していたという。
ただ、独学で練習しているので基礎的な部分で欠けていた事がスペインに来て痛感しているとい う。ボレー1つにしても体の使い方から、基本的な肩の入れ方から練習し、質も高いコーチの元 で的確な指示アドバイスをもらいながら自身の日々の成長を感じているという。
負けた事実よりも大切なのは『負け方』で、納得する負け方が存在すると出会う事が出来たのが人生の 中で一番の変化
ゲームで負けた時の大切なこと。
スポーツをして負けた時の感情の出し方は人それぞれだが、春奈の場合は泣いたりすることもる が、あまり負の感情は出さない派らしい。負けた事実よりも大切なのは『負け方』
春奈にとって負けた事実よりも大切なのは『負け方』で、納得する負け方が存在するという。 『一番悔しいのはやってきた事が試合で出せなかった事なので、何が間違っていたか、どんな負 け方をしたかを見直します。そもそも練習方法やってる事が間違っていたのか、何を課題にしてい くのかを見直す。見直さないとまた同じ間違いをしてしますから』と大切な事を言葉にしてくれ た。
日本のパデルの最先端でパデルをする気持ち。
今、春奈はパデル日本代表強化指定選手に認定されている。日本代表強化指定選手として日本の パデルの最先端で活躍する気持ちを聞くと『国内の試合だけでなく、個人でも海外で通用するレ ベルの選手になりたいと言う気持ちで今、スペインで頑張っている』と謙虚で礼儀正しい春奈の 中に秘める熱い気持ちを語ってくれた。
スペインでのパデルのイベントについて
今回、私がスペインを訪れ現地インタビューをする大きな目的はパデル選手3人のインタビュー と彼らがコーチを務める国際交流会インテルカンビオ(主催者ミツキさんとこのイベントについての詳しくのインタビューは別途記事にて) の主催する日本人代表選手によるマドリッドパデルイベ ントを訪問インタビューすることだった。春奈とのインタビューはこのイベントの午前の部が終えたばかりの時だった。
最初は春奈自身がこのインテルカンビオの参加者だったが、主催者の代表二人から現在同じくス ペイン、マドリッドに拠点をおく日本パデル代表のレオン選手、日下部俊吾選手と一緒にインテル カンビオ主催の元、2023年3月に第一回を開催した。
こちらでのパデルのレベルはもともとテニスをしていた人もいれば、全く初めてと様々。
マドリッドで日本人によるパデル普及活動
最初の一回目は春奈にとっても初めて、と言うことと、本場の日本語を勉強するスペイン人も参 加でドキドキしたというが交流会というメイン項目としてみんな楽しんでもらえたのでよかった と春奈は嬉しそうに話してくれた。
日本では一面で友達5・6人を教えることはした事があったが。このような大型イベントは初め てという春奈だが、教える基本的なノウハウは分かっていたのでイベントは無理なく自分らしくで きたという。
スペインにいる人たちは皆、パデル自体は知っていたが体験したことはない人が多かったという のでこれを機にスペインでパデルを始め、彼らが帰国した時に日本でもパデルをしてくれると日本 のパデル普及にも大いに繋がるだろう。
イベントを通じてパデルをはじめ、パデル日本代表のことや、日本にもパデルコートがあること、 日本が世界大会へ挑戦していることなど、日本人のパデルの活動を知ってもらうきっかけにも なったと春奈はマドリッドでのイベントが大変有意義なものであったと語ってくれた。
これからの予定
今年の9月末までスペイン滞在するという春奈。その後はこれまでと同じよう日本で仕事しなが らパデルをする毎日になるという。 スペインにいる間は本場で受けられる、とにかく質の高いコーチ達、周りの選手たちからたくさ んの戦術、技術を出来るだけ吸収し、日本でもそれを維持していくことが課題だという。
且つ、まだ発展途上の日本パデル界の課題、パデル人口、コート数の増加を目標にこれからもど んどん認知してもらうことが大事なので今度もイベントを通じて日本のパデル普及に力を入れたい という。女性らしいしなやかなで優しい話し方の中にもスポーツ選手らしい潔さを感じる内剛外柔、素敵 な春奈さん、マドリッドでの貴重なお時間、ありがとうございました。
春奈さんのスペイン滞在中にマドリッドでお会いできたこと、心より嬉しく思っています。
MEMO
春奈さんの素顔が垣間見れる インスタグラムはこちら。