スポーツと企業を繋げるパデル選手、平レオン オリリアス

インタビュー数日前にを誕生日を迎えたばかりの22歳の大学生。 今回はパデルを通しての彼の人生の考え方、独自の「パートナーシップ論」など、レオンの魅力に迫ります。 今、パデルのみに限らず、海外で自分の可能性を試したいと持っている方、何か新しい事を始めたいと思っ ている方、是非お読みください。

平レオン オリリアス (Leon Aurelius Taira)

22歳 慶應大学総合政策学部 在籍 (2023年5月現在スペイン・マドリッドでパデルのプロとしてトレーニング中の為、一年半大学休学中)

初回記念すべき日本人インタビューはパデルの聖地、スペイン、マドリッド現地となった。

インスタグラムでよく拝見させて頂いていた、パデル日本代表選手。彼のインスタグラムからはパデル選手 として以上に何とも言えない清々しい活力溢れる、且つ知的さが伺えた。 そしていざインタビュー当日朝八半。

シエスタ文化のスペインにしてはまだ早い時間にもかかわらず、爽やかに登場してくれたのは、 平レオン オリリアス (LEON AURELIUS TAIRA)選手、(以下、レオンと省略)。

パデルとの出会い

ここ数年でパデルの認知度が上がってきた日本だが、レオンとパデルの出会いは今から9年前の2014年 と早い。日本で最初のパデルコートがオープンしたのは2013年10月(所沢)なのでレオンがスペイン でパデルと出会った頃は、まだ日本でパデルコートが、まだ一つしかなかった頃だ。(2023年5月現在 全国42コート)

小学5年生の時にテニスの遠征でスペイン、マドリッドを訪れた際、クラブではパデルコートの方がテニス よりも人で埋まっていた事に、小学生ながらに衝撃を受けたレオン。

その時、レオンの隣で同じ光景を見たレオンの母は「テニスをしにスペインに来たけれど、レオンが将来テ ニスではなくて、パデル選手になったら面白いね」と当時、冗談を言って笑っていたというが、すでに息子 の将来に第六感が働いたのは母親故かもしれない。そして今、レオンの母の冗談は冗談では無くなった。

帰国後、勉学が忙しくなったレオンはしばらくスポーツをやめていたが、大学も決まり生活が落ち着き始め た時に、タイミング良く、以前テニスをしていたコーチに誘ってもらったのがきっかけでパデルをするよう になったという。このきっかけがのちにパデル日本代表選手になるとは、レオン本人も想像はしていなかっ た。

温泉の卓球感覚のようなパデル

今、パデルを始めたきっかけを聞いていると、やはりもともとテニスをしていたという人が多い。 その度に私は、なぜテニスからパデルに移行したのか聞くのが興味深い。

レオン曰く、彼はテニスでもダブルスの方が強かった。戦略、戦術を考えながらプレイするのを得意として いた彼はダブルスメインのパデルで戦略戦術の奥深さの魅力に惹かれるよう導かれ、気づいた時にはすでに 無心にトレーニングをする日々になっていたという。

技術面の魅力と同時に、感覚的な魅力としては温泉の卓球みたい。とレオンの分かりやすい例えをもらっ た。

『パデルは人との距離が近く、みんなでワイワイ, する感覚がテニスにはあまり無かった感覚なんですよね。ダブルススポーツだけど、パデルの独特なワイワ イ感、チーム感が個人、ペアスポーツでも味わえるんです。』まさにだ。その感覚が今、パデルを楽しむ人 たちを虜にしているのかもしれない。

「温泉にある卓球」みたいに手軽にみんなでワイワイ、わちゃわちゃと、まさに多くのスペイン人が生活の 一部としてパデルを取り入れている感覚だ。

Quick facts

  • 22歳 慶應大学総合政策学部 在籍 (2023年5月現在スペイン・マドリッドでパデルのプロとしてトレーニング中の為、一年半大学休学中)
  • カナダ人の父と日本人の母のもとに生まれる。
  • 小学校5年生の時に初めてパデルを目にする。
  • 趣味は料理

選手として意識し始めたきっかけ

パデルをはじめてすぐは特にプロでやっていこうとは思っていなかった。性格的には大きい目標に向かって 進むのは得意だが、ロジカルに目の前の事を段階を踏んでいくタイプのレオンは初めたばかりの頃はただひ たすら楽しくて練習をしていたという。

そしてパデルを初めて2年くらい経ち、 日本代表のBチーム(2軍)に入った際、アジアカップの3本目の試合でオーストラリアに勝つペアはあま りいなかった当時、見事勝ち(ペア庄山大輔さん)それを機にプロを意識し始める。段階を踏んだ勝利達がレオンを更になる目標に進める。

日本代表になって変わったこと

その後、大会では順調な成績を納め、2021年には最年少で全日本の優勝を果たしたレオン。 パデルを始め変わったことは何よりも体づくりだという。

テニスをしていたジュニアの時は、まだ食事方法などの知識や意識が浅かったが、パデルを始め、ウェイト トレーニング、食事方法を取り入れた今は以前、テニスを教えていたコーチが驚くほど、動きも体も変わっ た。トレーナーもつけて小さな積み重ねを重ねると言う単純だけど大事な事を、今はしっかり身につけてい るという。

そしてレオンは揺るぎない自信を秘めた目を輝かせて加えて話してくれた。

体が変わると心、考え方も変わる。体は魂や自分そのものの器なので、そういう過程を得ていくと、 同じものを他のものにも応用し始める。そこかが変わると色々な考え方や物の捉え方も変わってくる。

あまりの的をついたしっかりした考え方に筆者の自分が22歳だった頃、果たしてレオンのように考えるこ とが出来たかと恥ずかしながら自問してしまった。

『パデルのトレーンングを初めてから、成果も大事だが、一喜一憂しないように心がけている。結果にこ だわるよりプロセスに集中して、プロセスを積み重ねることに焦点を当ててから自分自身のメンタルも更に 良くなったと思う』とレオンはスポーツを通じてメンタルトレーニングも鍛えられてることを語ってくれ た。

コロナ禍で考えさせらた時代

大学一年の後期にコロナで大学もパデルもストップ。コロナ禍で身動きが取れない葛藤は誰しも嫌というほ ど経験している。レオンもその一人だった。大学が休校中、レオンは独学でエンジニアの勉強し、企業から仕事を委託されるほどにもなっていた。

そしてコロナ自粛中にレオンはスポーツ選手として、日々アスリートの価値を考えていた。 スポーツ選手としての道を歩んでいる中でアスリートとして世の中に貢献することを真剣に考えた時、 スポーツだけではなく、他にもやるべきことがあると22歳のレオンは悟った。それはコロナ禍で考えさせ らざる負えなかった環境なのかもしれない。

そしてそのレオンの『やるべきこと』、その考えが今のスポンサーとの繋がりとも関係していく。スポーツが持つ意味、社会に貢献する形がもっとあると考えている反面、その形が世の中で実証できている 例がまだ比較的少ないとレオンは言う。

スポーツを通して社会に貢献する取り組みにも、もっと挑戦していきたいとレオンは意気揚々と 語ってくれた。

2022年4月に移住

“パデルをトレーニングしにスペインへ行く”

ずっと日本にいたレオンはカナダ人の父親はいうまでもなく、母親も海外経験が長いことから、大学を進学 する際に、すでに海外か日本かを考えていた。しかし当時は何をやりたいかまだ分からなかったという。

明確な目標が見つからない状態で海外留学するにはまだ至らないと考えたレオンはまずは大学に入学し、目 標を探してから海外経験を積む順序を取った。コロナ渦が落ち着きを見せ、パデルもまた再開し始めてからレオンは本場スペインでのパデルトレーニング を真剣に考え始める。

湘南慶応SFC(湘南藤沢キャンパス)の自由でクリエイティブな雰囲気の中でレオンは大学に入る前には まだ見つからなかったという自分の中の更なる目標を見つけた。

“パデルをトレーニングしにスペインへ行く”そこでただ行くのでは面白くないのでレオンはパートナーシップを見つける努力もした。

パデルと企業を繋げるスーパー選手

スペイン行きを決めたレオンはスポンサーを見つける為に一から自分で行動を取る。

インターネットを介して不特定多数の人々から少額ずつ資金を調達するクラウドファンディングという形で はなくパートナーシップ契約という道をレオンは選んだ。

コロナ禍で気づいたレオン独自の考えとして、パデルの様なまだ小さなコミュニテイの中ではクラウドファ ンディングより、パデルに全く関係のない企業にアプローチし、パデルの認知を広め、パデルの認知度も広 めながら、スポーツの持つ価値を見出したいというレオン独自の思いだった。それが自分の大好きなパデル を広めていく道だと認識したj。自分ならできるという確固たる自信こそもあったのだ。 そしてレオンは自分流でパートナーシップ契約を成立させる。まだ就職活動する学生の年にもならないレオンだが、まさに年齢よりも経験が物をいう時代だ。

パートナーシップ獲得のための営業は電話営業やお問い合わせフォームからの問い合わせなど、地道に探し たという。千里の道も一歩から。インターンからのお世話になっているという企業一社以外は全く見知らぬところから 自分でアポイントを取り、企業の社長を目に前にピッチ資料を作り、プレゼンテーションで独自の提案を し、スペインでの生活を支える資本となるパートナーシップ獲得に成功した。

そして加えるようにレオンは言う。 国際色のある家庭環境で育ったレオン自身のアイデンティティから来るものとして、日本の伝統ある商品を ビジネスとしている企業にとても興味があるという。抹茶、包丁、日本の老舗の企業等、日本の文化を世の 中に広めたい。と言うレオンの気持ちは、筆者の私自身も海外在住歴は早20年になる私も共感する。なぜ なら、海外で生きる日本人にとって、日本の伝統ものがなお愛おしく、美しく心に響く感覚は故郷離れて生 活して改めて感じる事が多いからだ。

パデルを通して、スポーツと日本の伝統商品の新しいハーモニーで世界の舞台で輝くレオンの活躍には 期待しかない。

レオン流パートナーシップ論。

応援名目として選手をスポンサーし、選手は試合に勝つ事で有名になり、選手のイメージを強みに商品を売 るという従来のスポンサー制度は色々な方法があるが、レオンは敢えてスポンサーという言葉を使わず、 「パートナーシップ」を通して互いに直接利益を感じられる状態、各企業と独自の取り組みをし、フリーラ ンス業的な働きを提案。ヨーロッパ進出を考えている企業に調査資料を書いたり、企業の海外チャンスの機 会を作ったりなど、長期的な関係ができるように提案。

パートナシップの企業ブランドのロゴの入ったウェアを着てマドリッド市内を歩くレオン。

『いい時も悪い時もあるスポーツの中で企業にきちんと恩恵を返していると肌で感じるし、自分なら広告塔 になるだけでなく、もっと違う形でパートナーシップ企業に直接貢献できるという自身もある』とレオンは 言う。

企業とのこのような関係がスポーツ以外でも自分がパートナーシップなってくれる企業に貢献できるあるべ き姿だと若さだけでない、出でた知性の秘める眼差しで語ってくれた。そしてその成果を聞くと、一年契約も更新できている事でも手応えは感じていると言う。

スペインでのトレーニング

これはパデルラバーの筆者の私がとても興味のある質問をしてみた。 『切り取ったショットの技はあるので 今は技術の選択の能力を磨いています。 ショットの選択など、どの場面でどの技を使うか。どんなニュアンスでどんなふうに打つか。と言う戦略ト レーニングを今はトレーニングしています。』とレオンは教えてくれた。

そして勝負好きのスペイン人の熱さも身につけたいと言う。

スペインでトレーニングしていると、世界レベルのトップパデルプレイヤーと練習中に出会う事も多いが、 そんな世界で活躍する彼らでも顔を覚えていてくれて、気さくに挨拶してくれるという。そして、日本人も パデルするのかとまだ珍しがられるようだ。レオンや他の日本人プレイヤーがこうして海外でトレーニング する事で日本のパデルの発展を世界に知ってもらう事が出来るのはとても光栄な事だ。

負けた時はどうなる?

さて、22歳とは思えない落ち着きと気丈さがうかがえるレオンだが、パデルのゲームで負けた時のどうな るのか。『負けた時は切り替えは早いけど落ち込みませね。何が正解かわからないけど、落ち込む時は落ち込む』と 和らいか笑顔で答えてくれた。

パデルに拘らずスポーツの勝ち負けの際の感情の表し方は二局に分かれる事が多い。感情に波タイプと感情 に従うタイプ。レオンの場合は後者の感情に従う方が健康的だと思うと言う。立ち直りは時間に委ねる。感情に変な蓋を被 せず無理しないのがレオン流のようだ。 自分のやりたいことは自分で選択だからうまくいく。誰のせいでもない。

娘の息子にしたいくらい好青年のレオン。インタビューをしていく中で、性格形成の根本、家族の育て方に も興味を持った。すると彼は『それ本当に色々な人に聞かれるんすよね。でもなんて答えていいか分からないけど、ただ、や りたいということに対して、両親からNoと言われたことはないんです』と本人は気づいていないかもしれな いが、一番大切であろう要の回答をしてくれた。

スポーツをやめていた時は音楽をしていたというレオン。自分で音楽を作ったり、大学に入学履歴書にはス ポーツではなく音楽活動の事ばかり書いていたらしい。その時もレオンのご両親はただ、いいじゃないと背 中を押してくれたと言う。

子供に親の希望を強制せず、「やりたい」と言うことに背中を押す。子供は自分で選んだ道ゆえに自ずと自 己責任で行動し、かつ反対されているなどの無駄なストレスや重荷を背負わず思いっきり自分の心ときめく 事に集中出来る。

レオンのご両親は大きな愛情で彼の成長をどんな時も見守っているのだろう。

スペインで大変なこと。

一年半のスペイン生活もあと1ヶ月ほどで終わろうとしているが、何か辛かった事などの苦労話を聞こうと 思い質問したが、違う文化で生活していることをきちんと理解しているレオンにとって特に大変だと思うこ とはない。とあっさり答えられた。

郷に言っては郷にに従え。まさにその通り。海外で生活する際に一番大切なのは日本での常識や日本の文化 で物を見ると不平不満が出やすくなる。日本の常識は海外の非常識、海外の常識は日本の非常識くらいの気 持ちでさっぱり明るく振る舞っているとレオンのように異国の地でも前向きにいられるのだろう。

大変な事はあまり無いと言ったレオンだが、他人から見れば大変な事もきっとあるに違いないが、彼の明確 な目的を持って学ぼうとする直向きな姿はどんな逆境をも乗り越えられる、苦を苦とも思わない強さになっ ていくのだろう。

そんなレオンだが、パデル以外での楽しみが料理を作ることらいい。 幼稚園の時からABCクッキングに通い、中学生の頃も大人向けとのABCクッキングいに行っていたほど、 料理好きのレオン君。小中学生の頃から自分で作っていて生まれ変わったらシェフになりたい。と語ってく れた。

なのアスリートとして活躍する今、食事管理は面白い。こちらでも食事は自炊はとても楽しいようだ。

今、日本代表として日本のパデル界の最先端にいる気持ち

どんなチャンスも自分で作っていくから。 すでに40年のパデルの歴史があるスペイン人のレベルとは比較せず、自分の成長の矢印が正しい方向に向 かっていること感じながら、今、できることを積み上げ得ていくこと

日本ではまだ新スポーツのパデルで活躍するレオンは、最先端でプレイをする事に可能性しか感じないと、 目を輝かせた。そしてパデルをしている自分が一番楽しいと一番大切な気持ちもきちんと持っている。日本ではまだ新しいスポーツであるということは「自分もこのスポーツで一緒に成長出来るのだ」とレオン は言う。

『良くも悪くもあまり深く重く考えない。どんなチャンスも自分で作っていくから。 すでに40年のパデルの歴史があるスペイン人のレベルとは比較せず、自分の成長の矢印が正しい方向に向 かっていること感じながら、今、できることを積み上げ得ていくことですね』とこちらが脱帽してしまう一 言。

そして彼はまた更に若い日本のジュニアには日本のパデルの未来を担っているのでぜひ頑張ってほしい。と 笑顔で言う。

でも試験に合格するように勝つことだけではなく、パデル本来の『楽しさ』も持ち続けて欲しいと考えさせ らるコメントを残してくれた。

レオンの今度の予定

インタビューをした約1ヶ月後の6月いっぱいで帰国してまずは大学を卒業する準備に入るレオン。 大学院はスペインを希望している。

2026年にアジア5輪を 目標に、パデル選手としてベストな状態でいたいと語る。 今の彼にとって2026は大きな目標。それ以降はまたそれから考える。と笑みを浮かべるレオンに また彼の人生に対する柔軟性を感じた。

レオンから日本人の皆さんい一言 パデルは一生できるスポーツだから無理せず、楽しむことを忘れずプレーしてほしい。

日本代表という代名詞を22歳にして獲得したレオン。アスリートとしても、ビジネスマンとしても同時に 世界へ羽ばたき始めた若き彼の今後の活躍に目が離せない。

土曜日、朝8時半の早朝インタビューとは思えない、マドリッドでの朝ごはんインタビュー。 レオンそしてタイミングよく、お会いできた、レオンの素晴らしいお母様、弟様に深くお礼申し上げます。

マドリッドでトレーニングの休憩中にカメラに笑顔を向けてくれたレオン。

MEMO

『インスグラムでは自分のメッセージや行動に共感してくれる人がフォローしてくれると嬉しい。 ソーシャルメディアを通じての出会いも今やたくさんあり、いい意味でポートフォリオの名刺的効果を 持っている』とレオン。この機会にぜひ、皆さんもレオンのインスタグラも要チェック。レオンのインスタグラム紹介記事

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